【略歴】
1970年 米国バッファロー市生まれ
1994年 北海学園大学電子情報工学科卒業
1994年 一般有限会社に入社
2000年 韓国籍の李相憙と結婚
2000年 横浜市に移住及び一般会社に入社
2002年 同会社退職
2002年 韓国に留学(韓国語学堂で韓国語習得。その後神学校へ進学)
2005年 韓国の地球村教会の日本語礼拝部の担当伝道師として按手を受ける
2006年 韓国バプテスト神学大学院大学の神学修士課程卒業
2010年 忍ヶ丘キリスト教会の主任牧師として招聘される
2010年 一度韓国へ渡り、地球村教会で牧師按手を受け帰国、現在に至る
【一言】
アメリカ生まれの生粋の日本人。韓国籍の妻と四人の子ども達に囲まれた幸せな男。特技はスキー。(ここ数十年出来ていないが) 全般的にスポーツは「浅く広く」がモットー。無類のガジェオタ。体格は良い方だが心臓の冠動脈に完全数の7つのステントが入っている(まだ二つ入れなければならない箇所があり)オンボロのボディ。でも、生かして下さっている神様の恵みは偉大なり。旧約聖書に登場する預言者エリシャに親しみを覚えるのは「ハゲ」のせいだろうか。小5の時にイエスキリストによる救いを受け、同時に「神様の働きをする様に!」と言う召命を受けてしまう。クリスチャンホームで育ったのは大きな神様の恵みであった事を今更になって感謝するように。神学大学院の卒業式の時の学長の祝辞の際、「良い牧会者になろうとするな!良い人になる様に努力しろ!」と言う言葉が感銘的だったが、それすらキツいと感じる今日この頃。神様の憐れみを乞うのみ。はれるや!!
2011年に教団正教師として按手を受けられ、以降現在まで、当教会の祈りと霊的な下支えとなって、信徒一人一人を大切にされる。月に一度礼拝のメッセージをとりつぎ、教会から遠のいた人や、教会へ来ることがが難しい人にも訪問し、傾聴する牧者。
信徒の信仰心を励まし、支える一つの柱となり、個人の心に寄り添い、尊重することにも力を注ぐ。その導きと温かさは、信徒たちにとって心強い存在である。
【一言】
"すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。"
ローマ人への手紙 11章36節
弱い自分を支えて下さる主の助けにより御言葉に励まされつつ 日々の働きに励んでいます。
城谷師は、1978年4月から定年退職となる70までの32年間にわたり主任牧師としてご奉仕いただきました。几帳面で丁寧に教団の仕事もこなし、穏やかで優しい人柄で知られていました。城谷師の妻である加代子夫人も副牧師として活動し、教会の奉仕に貢献くださいました。ご夫婦は信仰と奉仕の精神を持ち、教会と地域の人々に多大な影響を与えました。
ワリナー師は、1963年に来日し、日本での宣教活動を開始しました。四條畷キリスト教学院を設立した後、1965年に忍ヶ丘キリスト教会の初代牧師となられ、その後、教会堂が建設されるなどして、およそ13年間にわたり主任牧師として教会の黎明期を支えてくださいました。教会の成長と発展に尽力し、地域の信徒たちにとって尊敬される存在でした。